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二十歳の誕生日に贈る言葉 [お子ネタ(笑・喜・楽・感動)]

今日は、お子1の20歳の誕生日です。

面と向かって言えない私は、お子1に携帯メールを送りました。

 

* * * * * * *

思い起こせは…(長くなるので、興味のある方だけ読んでください)

初めての出産に心躍るどころか、いろいろありました。

会社勤めしていた頃の私はエンジニアと言う事もあり、お仕事満載!
部は女性初のエンジニアを迎えたので、その期待にこたえようと必死でした。
その頃は男女雇用機会均等法とかで、毎日夜の11時まで仕事をするのがざらだった頃…
毎日時間が足りなくて、会社の中で走り回っていました。
そんな中でも結婚をし、2年目には子供を授かり、
それでも、今まで通り遅くまで残業したり、走り回る私に会社の先輩方に
「妊婦だろ?! 自覚しろ!」 
と愛のムチで怒られる始末。(まあ、想いやりの言葉だったのですけどね…)

妊娠5カ月も過ぎたある日、トイレに行ったら鮮血が…焦って産婦人科へタクシーで!
担当医がいうには・・・
「これね、だよ、痔! 内痔だからいたみもなかったんだろ~はーはっはっは」
と、なんというか・・・恥ずかしい言葉を大声で言われ安心。
それから遅くとも午後7時には退社するようになった。

それから、数か月、今度は「逆か子」になっていると言われ、
妊婦にできるのか?!という恐ろしい体操を教わる。その名も・・・
妊婦ブリッジ!
(積み重ねた布団に背を向け、布団の頂上が腰に当たるようブリッジする)
この恐ろしい体操を続けたところ、子宮の中でくるりんと正常位置へ回ってくれた。
「この月数だと、なかなか治らないけど、頑張ったね~」
と担当医に言われた時は、努力が報われた事と切腹(帝王切開)せずに出産できる事を喜んだ。

産休にもはいり、9か月になったとたん、「妊娠中毒症の疑い」といわれ、またまた真っ青!
その時は実家のある新潟の産婦人科へ転院した後だったので、母や姉に気遣ってもらう。
しかし、元来家で大人しくする性格ではない私はじっとしていなかった。
町内会からの配布だと言われ、電話帳3冊を妊娠9カ月の身重で家まで運んだっけ…

どうにか中毒症も重症化せずに迎えた出産予定日、平成2年3月9日を迎えた。
お腹が張る様子も無かったので、散歩三昧。
そして11日の夜8時ころ…ん?ちょっと張りが強いな…時間を測ったら、すでに30分間隔。
一応病院へ連絡すると「15分間隔になったら来てください。」といわれ、様子を見ていたが、
午後10時前には15分間隔。病院へ連絡し、入院し。見てもらうと
「あ、まだまだですね。まだ、子宮口が1cmも開いていない。
でも一応、か〇ちょーしておきましょう!」

お母さんたちは家で待機してください。まあ、朝になるでしょうから、朝来てくださいね」
心細い私を残し、母と姉は心配そうに自宅に戻っていった。
そして生まれて初めてのかん〇ょーに緊張し、
赤ちゃんまでもが出てくるのではないかと思うような腹いたの後、ぶじ仕事(?)を終えた。
そして一人、薄暗い病室でお腹の痛みと張りに耐える…時間は10分おきだというのに…
ウトウトしながら迎えた12日の朝、お医者様の言葉に期待していると…
「あれ~?まだ、開いていないね~これは夕方かな?」
と言うではありませんか!もう、痛みの間隔は10分なのに…そう訴えると
「これはね、陣痛微弱と言って、本番の痛みはもっとすごくてこんなものじゃないのよ」
その言葉に、恐怖とまだ続く苦しみに耐えられるかという不安が・・・
家族はまた、家に引き上げ夕方来ると言う…
天気いいのに私は病室で痛みに耐えるのか!と頭の中でぶ~たれながら時間の経過を待つ。
そんなこんなで、朝+お昼ごはんを出されたものの、
日本海の海の幸満載のご飯とステーキは食べれず・・・
「終わったら、絶対残さず食べてやる! それより、食べたらまたか〇ちょーするのかしら?」
という不安が大きかった私。

夕方になっても先生の思うような陣痛の強さがこなかったので、
「子宮の収縮を促進する薬を使いますね。」
との言葉に「これが噂の…」と思いながら私も家族も同意し、
手の甲に針が刺さっていた点滴へなにやら薬を投入…
すると、急激な痛みが!!!スキン、ズキンとくる痛み、子宮がひっくり返そうな痛み
に耐えられないでいると、看護師さんが一言
「力んじゃ駄目ですよ」
との突っ込みに、点滴の刺さった手に力を込める。
すると、あれよ、あれよと点滴の管に血が逆流していく!!!
「おお~珍しい!こんな事もあるのか!」
という痛みに耐えているはずの私の中のもう一人の私が冷静に分析。

やっとお許しが出て、いきむものの、力が出ない。
寝不足とご飯抜きと長時間の痛みに疲れていたのだ・・・
いきみながらも頭がぼ~っとしてきて、一瞬、気を失った(いや、寝た?)
「頑張って!いきんで!」
そんな声で目覚めた私…何やら周りで相談ごと(?)の後、
分娩代のすぐ横にある台に乗った看護師が、
な・な・なんと、私のお腹を上から押した!
「なんじゃ、こりゃ~!」(by まつだゆうさく ではなく わたし)
と思った瞬間、何かが出た感覚。
「おめでとうございます。女のお子さんですよ~」
の後に赤ちゃんの泣き声がしない…一瞬、青ざめたが、
その次の瞬間、泣き声が…

後で、医師から聞いたのですが、
クビにへその緒が絡まっていて、胎児仮死状態だったそうです。

 

* * * * * * * * * * 

そのお子1が、20歳の誕生日を迎えました。

出産後も色々ありました。
旦那がその時走りの「パニック障害」になった時は、お子1は小2でお子2は入園前。
その後、旦那が訳の分からない身体的病気になって入院したのは、
お子1が小5で、お子2が小1の冬。

お子1は旦那の病気を詳細まで分からないでいたと思うけど、
家族の病気を家族としてかかえながらも自分の人生を一生懸命歩んでくれていたと思います。
今まで、何回もメンタルと心身の病気を繰り返した旦那に対する私の不安をも、
子供たちが救ってくれました

お子1は、はっきり言って脳天気です。その脳天気さが私を救ってくれたのです。

 

お子1に今朝、メールを送りました。

人生には色々な事が起こる。
大変な時は少し立ち止まっても良いけど、
前を向いて人生という道を歩いていってね。

自分で決めた道です。悔いのないよう進んで行ってもらいたいです。
それ以上に、自分を大切に、そして健康であるように・・・

 


<追記>お子1が結婚する時、
姉が出産時に録音(声だけ)してくれたテープとこのブログの内容を送ろうと思います。


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Cocona

笑って涙したお子1さんとの出会いまでのストーリー
産声が残ってるんですね。それとこのブログ。それ以上のものはありません。
ノーテンキ、我が家の長女もノーテンキ
でも、お子1さんも同じだと思うのですが、とても繊細な一面もあり人の心を感じてしまいます。お互い、助けられますね(苦笑)

自分を大切に、そして健康である事

ほんとうに生きて行く上で一番必要な言葉です

お子1さん、20歳 おめでとう!
by Cocona (2010-03-13 11:38) 

umeji

*** Coconaさん ***
お子1にお祝いのコメントをありがとうございます。

そして、長々とこの記事にお付き合いいただき、
本当にありがとうございます。
Coconaさんのコメントにはいつも心があったかくなります。
言葉で伝えても良いのですが、足跡を残す、
そんな事をしてみたかったのです。
公開しても良いのか…とも思いましたが、
花むけのブログと勝手にさせていただきました(汗

確かに、子供のノーテンキには助けられています(苦笑
人それぞれ、だから面白いのだと思います。

これからも見守っていこうと思います。

by umeji (2010-03-14 12:04) 

youzi

遅くなりましたが、
お子1さん、20歳のお誕生日おめでとうございます。
ご出産されるまで、色々あったのですね。
それだけに、思い出が残りますね。
産声が残っているって、とても素敵ですね。
by youzi (2010-03-20 00:09) 

to

二十歳のお誕生日おめでとうございます。
成人式のお祝いも言わずにすみませんでした。

うちの息子も来年成人です、、、早いものです。
by to (2010-03-26 14:29) 

umeji

*** youziさん ***
nice! やお祝いの言葉、ありがとうございます。
ごちゃごちゃとした記事につきあってくださって
ありがとうございます。
人それぞれにいろいろな体験期があると思うのですが、
お子1には知っていてもらいたいものです。
この記事で誰かが自分の時の事を想って
いい方向へ向いて言ってくれたら、と記事にしました。
お付き合いありがとうございます。

*** toさん ***
nice! をありがとうございます。
お久しぶりです。
ご訪問くださってありがとうございます。
嬉しいです。

息子さんは来年ですか!?
楽しみですね。

by umeji (2010-03-29 13:40) 

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